初代店主、伊八の生家は農家の傍ら養蚕業も営んでおりました。養蚕、生糸を扱っていることから、親しみを込めて「糸屋」と呼ばれていたそうで、その素朴な呼び名を初代は気に入っておりました。明治末期、多くの旅人や商店で栄えた中山道の宿場町に、和菓子を通して人々が生糸の様に美しい良縁に繋がるように、と願いを込めて糸屋製菓店は始まりました。